誌 面 版

99年1月号   平成10年度 「心の輪を広げる体験作文」(徳島県内 優秀賞)

              「インターネットとの出逢い」

 いつもの敦っちゃんの文体と少し(大分かなぁ)違いますので、ビックリさ れるかも。

 

 私がインターネットをしようと思ったのは今から三年前、私が頸椎を悪くし て、仕事が続けられなくなり、私の想い出が沢山ある授産所から自宅に戻った時 、丁度パソコンがブームになり、これから障害者はパソコンとかインターネット が絶対必要と想い、一年間障害年金を貯め、パソコン一式を買いました。
 しかし私がインターネットにたどり着くには苦労しました。まず、マウス自 体がうまく扱えない。操作が解らなくてユーザー相談室等に電話しても、言語障 害で質問がうまく伝えられない。一時はパソコンを諦め様かと思いましたが、私 には絶対インターネットが必要だと想い、それなりに頑張って行きました。
 そして、初めてインターネットに接続した時は「あ〜、これで世界につなが った」と感激しました。それから、次は電子メールを始め最初はパソコンを買っ たお店の方とパソコンの操作の質問とか、テレビの番組へ意見を書いていました 。
 ある日、新聞で面白そうなホームページを見つけ、アクセスすると地元の事 を集めたホームページでした。そこで、初めてメーリングリストと言うものに出 逢いました。
 メーリングリストとは、登録した会員が電子メールを出すと、登録している 全員に同じ電子メールが行くという仕組みです。
 私が入ったメーリングリストは徳島の県南を愛する方々のメーリングリスト で、電子メールの内容は他人の誹謗・中傷以外は何でもありで、一日に二十通、 三十通も来る電子メールの多さに私はビックリしていました。
 最初は、メーリングリストの皆さんにもパソコンの操作等と教えて頂いてい ました。そして、私が入って一ヶ月した頃にメーリングリストの皆さんと会う機 会がありました。
 皆さんとお会いした時私の障害の重さにビックリされていました。入会の時 在宅障害者と自己紹介していましたが、実際に私と逢って見たら、皆さん想像よ り障害が重いと言われました。
 私は前から健常者と障害者が一緒にする、水泳のクラブをしたいとメーリン グリストに投稿したら、会員の二,三人の方から参加したいと言われ、私の夢だ った水泳のクラブもこのメーリングリストが一つのきっかけにクラブを作る事が 出来、今でもクラブの運営は電子メールを使い殆どしています。
 それから、このメーリングリストの中にローカルタウン誌の関係者方が何人 かおられて、ある日私に「障害者の事をタウン誌に連載してみないか」とお誘い があり、始めは迷っていましたが、私は前からマスコミに取り上げてる障害者の 事は、表面ばかりで障害者の心が書かれていないので、障害者の心を書かして戴 けるのらという言う事で、お引き受けしました。それに、自分自身も定期的に原 稿を書くという事にも挑戦したかったし、私が障害者の心を書いて、少しでも健 常者に障害者を知って戴けたら私が重度障害者として生きている意味がある様な 気がしました。勿論、毎月の原稿は電子メールで送り、これもインターネットに 出逢わなかったら書く機会が無いと思いました。そのエッセイをインターネット で一人でも多くの方に読んで頂きたく、自分のホームページを作るきっかけにも なりました。
 ある夏の日メーリングリストの会員の方から、ある民放ラジオ番組の紹介メ ールが投稿されました。
 私の家はラジオの電波が入り難く「どうせ聴けないや」と想い乍らメールを 読んでいると、今年からインターネットでも番組を同時放送すると言う事で、番 組を聴いてみました。そうしたら、電話回線の状態で時々音がとぎれるものの、 家のラジオに比べると雲泥の差で綺麗に聞こえました。それから私はこの番組に ハマって行きました。
 この番組の内容は徳島に関するテーマをゲストとアナウンサー、リスナーで 徹底的に探って行くという番組で、リスナーは電話、FAX、郵便、電子メール 、そして今期からはチャットシステム(以下チャットという)が加わりました。
 このチャットは世界何処からでもこのチャットのページに接続すれば、その 意見が瞬時に見られるもので、リスナーの意見が一番早くスタジオのアナウンサ ーの方へ届き、私のちょっとした意見が番組に取り上げられ、嬉しくて毎回放送 の時はチャットに参加する様になりました。勿論、インターネットで番組を聴き 乍らです。
 しかし、このチャットに参加するのにも勇気が必要でした。それは、私が障 害の為意見を入力する速度が遅く、チャットの会話についていけるかどうか心配 でした。でも、チャットを利用されている方はどなたも親切で、「入力の速度な んか気にせずどんどん来て下さい」と快く言われました。 それから、私は放送 が終っても、毎晩電話料金が安くなる時間帯になると、チャットに出て常連さん やアナウンサーの方と文字で会話を楽しんで行きました。
 ある日常連とチャットで会話していると「年末に恒例であるお店からリスナ ーも参加して、年忘れ言いたい放題があるから、堀さんも来たら良い」と言われ ました。
 しかし私は言語障害があるので音だけのラジオに出る事を躊躇っていたら、 アナウンサーの方が「前にも言語障害者の方が出演されているので大丈夫ですよ 」と言われ、私の気持も楽になり、生まれて初めてラジオに出る事になりました 。そして緊張し乍らも自分なりに精一杯喋り、私の話しもリスナーの方に好評だ ったと後から聞いた時は嬉しい気持でした。
 ある日いつもの様に常連さんとチャットで会話していると、私がいつも障害 者と言って甘えている。それから、私が今まで障害者の中だけで生きて来たせい か、物事の考え方が少しずれていると指摘され、常連さん達と喧嘩になってしま い、しばらくチャットに出なくなりました。
 そして自分なりに「井の中の蛙」だった事に気づき、チャットで喧嘩までし てくれた方々は真剣に私の事を心配してくれ、本気で怒り、その迫力は今まで障 害者社会の中で生きて来た、私には体験した事のないものでした。
 自分でも、その怒ってくれた人と住む世界が違うんだと甘えた理由で、逃げ 様とも考えましたが、しかし、そうしたら自分がしている水泳クラブも嘘になる し、折角インターネットで健常者の方と「ふれあい」が出来掛かった事が無駄に なると想い、チャットの常連さんに怒られた事を少しずつ解決して行き、ある日 チャットに入ったら、常連さん達も私の努力を解って頂き、以前の様にお付き合 いして頂いて、今では、その常連さんがまた新しい出逢いを作って頂いています 。
 もし、私がインターネットと出逢わなかったらインターネットで知り合った 方々と当然出逢う事も無かったし、たった一ホームページ、一通の電子メールの 出逢いが場合によったら、無限の人と出逢うきっかけになる。そして、インター ネットで知り合った方々のお陰で、私の人生が大きく変わって行きました。 障 害者のパソコンとインターネットは、単なる道具だけでは無く、障害があるか無 いかは関係無く、健常者と障害者が人として付き合える素晴らしいものです。
 しかし、決して重度障害者にとってインターネットを自分の物にする事は容 易ではありません。今でも日進月歩のインターネットを勉強中ですが、インター ネットを自分なりの物にして、自分から積極的にインターネットを通じて人と「 出逢い、ふれあえば」それがその人の大きな財産になると思います。

  メール   kaihu158@nmt.ne.jp