誌  面  版

98年5月号   サブタイトル 「敦っちゃんの免許(2)」

 ハ〜イ、新しい年度が始まってもうすぐ1ヶ月。そろそろみなさん、新しい 所に慣れて来た方、また、5月病になりかけられている方もおられると思います 。
 今回も先月の続きで敦っちゃんの免許です。その前に何故この時期に車の免 許の事を書いたかと言うと、毎年事故で1万人前後の方が亡くられおり、この時 期免許の初心者の方が多くなり、この本を読まれた方が少しでも意識して運転さ れたら良いなと思い書きました。
 前置きが長くなりましたが、僕とアマチュア無線との出逢いは、養護学校の 高等部の時、社会科の先生、言語訓練の先生でもあった。(寮の舎監の先生)無 線の免許を持っておられる事を知り、僕が先生に無線の事を興味半分で聞いた事 から始まりでした。
 僕が先生の泊まりの時に無線の事を聞きに行くと「堀よ、国家試験は簡単だ から受けてみないか」と言われ、「言語障害の訓練にも良いから」とも言われ、 試験の話をよく聞くと確か200問〜300問(古いのでハッキリ覚えてません)の問 題集から8割出題される傾向で、合格ラインが60点で問題集を完璧に覚えたら大 体は受かる。(新規出題が何問かによる)それも、4択方式で無線工学12問法規12 問(当時)だから8問ずつ正解すれば良いとの事でした。問題は解答のマーク シード。それも、障害者は一般の受験者と分けてコンピューターに掛けず、試験 管が直接採点するので大丈夫と言われ、それから、まず、仲間3人、合わせて4 人、それと先生が顧問になって下さり、同好会を作って殆ど毎日試験勉強。週に 1回ぐらい模擬試験をして、四国の試験会場は松山に行きました。(当時は松山 だけでした) 試験は自分なりには頑張ったつもりですが、初めて学校以外での 試験と松山まで旅費とか受験費用を出してくれた親の事がプレッシャーになり、 不合格の通知が来ました。そして、もう1度秋に受験する事にしました。そして 、今度は学生生活最後で、失敗したら社会でこんな環境で受験は出来ないと思い 、一生懸命勉強し、なんとか合格出来、親に車の免許を諦める事を条件に、無線 局の免許状と機械とで当時10万円ぐらいを出してもらい、今でも、持っているJ H5ORUという、コールサインを取りました。
 今度は免許を取ってからのお話をしたいけど、紙が足らなくなったので、ま た、来月。 

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