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98年1月号
サブタイトル「敦っちゃんのクリスマス」
「♪シングルベルシングルベル鈴が鳴る…」と、あれー何か抜けていると言
っているキミもうこの「シングルベル」という単語死語かな。意味は彼女(彼氏
)いなく寂しくクリスマスを過ごすと言う意味。そう、敦っちゃんも今年もそう
言うクリスマスになりそう。
でも、1回か2回は彼女と過ごした事もあるんよ。しかし、僕も彼女もその
頃施設にいたから2人だけのクリスマスと言っても色々制限があったで。まず、24
日が土、日でないと外出が出来ない。外出出来ても門限が7時か8時で夜、ゆ
っくりと遊べない。そして、敦っちゃんが一番辛かったのは、彼女と街を腕を組
んで歩いてあげられない事。それは、僕も彼女も障害者。お互い腕を組んで歩く
とバランスを崩し2人共歩けない。その時僕はまず情けなかった。「こんな事も
俺は彼女にしてやれないのか。」別にお金もかかる事でない。次に自分に対し悔
しかった。ほんと腕を組んで街を歩く事なんか、恋人ならごく当たり前な事、そ
れさえも出来ない自分に対し悔しいかった。そりゃ、彼女に協力してもらい、腕
を組んで歩く事を練習したら多分出来たと思う。しかし、そこまでして歩けたと
しても、お互い真の満足感があるのだろうか。そう言う行為って雰囲気が大事、
街を歩いているうちに極自然にお互い腕を組む。そして、此処で腕を組まないと
いかんなぁという雰囲気がひしひしと伝わって来るが自分にはどうする事も出来
ない。で、彼女の障害の方が僕よりも少し軽かった。だから、せめて彼女には気
持ちの上で甘えてもらおうと。でも、今から思うと僕は彼女といる時僕の介護を
求めていたのかも知れません。
敦っちゃんの自論で介護は受け身、1から10まで相手にしてもらう。介助は
此処が出来ないから、出来ない部分を自分からお願いして介助して頂く。だから
、介護してもらえる人がいるとしたら両親だけ。しかし、敦っちゃんは知らず知
らずのうちに彼女に介護を求めていたのかも知れない。その事に気がついたのは
つい最近です。本当は気持ちの上で彼女を甘えさせようと思っていた自分が、実
は僕の方が彼女に甘えていたのかも知れません。
でも、僕は彼女に腕を組んで歩けない事を直接聞くのが怖くて怖くて、聞く
事が出来なかった。本当は「敦っちゃんと腕組んで街を歩きたい」と言われる事
が本当に怖くて。
その人にとって、今、出来る事が実はその人にとって本当は1番の幸せでは
ないでしょうか。
そして、いつの間にか僕と彼女は気持ちが離れて行った。
少し今月はヘヴィな文になったけど、こういう気持ちをみなさんに知っても
らいたい事でこのエッセイを書こうと思ったから。
このクリスマスに街を歩いている彼女、彼氏。腕を組む事が恥ずかしいと思
う方は、世の中にはしたくても出来ない人もいることを。だからと言って出来る
人は絶対せーとは言いません。あくまでも2人ムードが大切と敦っちゃんは思い
ます。
忘年会の事はまたの機会に書きます、来月からは敦っちゃんの生活の工夫を
書きたいと思います。