今回この電動三輪車を戴こうとした応募のきっかけは、歳が30代半ばに入
って歩く力も落ちて来た事であまり外出も少なくなり、昨年の24時間テレビで
電動三輪車の贈呈が始まった事を知って今回申込ました。
まず、昨年の4月に24時間TVのホームページを見て、電子メールで福祉
車両の贈呈申込方法を問い合わせ、スタッフの方からのお返事で、僕の住所担当
放送局の四国放送さんを紹介して戴き、早速四国放送さんに電話と電子メールで
福祉車両申込要項一式を送って戴くようお願いしました。
後日、事務処理担当のとくしまボランティア推進センターから、申込要項一
式が送られ、まず、電動三輪車のカタログを見てメーカーが2社あったので会社
に電話して自分が操作し易い電動三輪車はどちらか考えメーカーを選びました。
そして、次に僕の担当福祉事務所に推薦証明を戴く為に電話で問い合わせをしま
したら、推薦証明の前例が無いのでどういう証明を出せば良いかわからないと言
われ、僕は申し込み書一式を福祉事務所に送りました。
送付後1週間ほどして福祉事務所の方から推薦証明を戴き、電動三輪車贈呈
希望の申込用紙を24時間TVチャリティー委員会、四国放送、事務担当とくし
まボランティア推進センターの3カ所に応募しました。
応募要項の中に、福祉車両贈呈の選考基準は必要性の高い事、また、より緊
急性があることと書かれていました。また、タイムスケジュールの中に6月から
応募先への電話または直接現地に調査をしますと書かれていました。
そして、8月21日、22日に1999年度の24時間TVが行われました
が、それまでに僕のところに調査が無かったので、もう、今回は落選だと諦めて
いました。
10月中旬、チャリティー委員会から1通の速達封書が届き、中を開けて見
ると電動三輪車の贈呈内定通知書が入っていました。その通知書を見た瞬間「本
当かなと」自分の目を疑いました。そして、贈呈に必要な書類を担当放送局に送
り、後日チャリティー委員会から電動三輪車贈呈決定通知書が送られ、同じ頃に
電動三輪車の希望メーカーから車体の色やオプションの希望申込書が来て、僕の
希望を書いて返信しました。
全ての手続きが終わり後は、福祉車両の贈呈式案内を待つばかりです。しか
し、なかなか贈呈式案内が来なくまだかと思っていましたら、翌年(2000年
)の1月下旬に四国放送さんから贈呈式の期日案内の電話を戴きました。その時
、他の福祉車両の完成が遅れ贈呈式が遅くなって申し訳ありませんと言われまし
た。
2000年2月2日、徳島市の四国放送さんで福祉車両(徳島県分)の贈呈
式が行われ、本来は、贈呈式終了後各自車に乗って帰ってもいいのですが、電動
三輪車の場合はメーカーさんが自宅まで納車という事でしたが、丁度、メーカー
さんの予定が入っており、2日後の納車になりました。(因みに僕の家は四国放
送さんから約100キロほど離れています)
2月4日、電動三輪車が納車されました。
そして、メーカーさんから運転方法・道路交通法の位置づけ(電動三輪車は
、電動車椅子と見なされ歩行者として扱われる)交通保険の説明を受けました。
メーカーさんが帰られた後、2時間ぐらい電動三輪車のアクセルレバーの握
り方を中心に練習しました。実は、5年ほど前に授産施設にいた時施設の電動三
輪車を使い病院に通院の経験があって、電動三輪車の運転は少々自信がありまし
た。ただ、アクセルレバーの握り感覚とバックの操作が不安で、その2つを中心
に練習した後、近くの駅まで行って見ました。
さすがに、初めて公道に出る時は緊張しましたが、無事近くの駅まで往復出
来ました。(片道約600mぐらい)
その後、天気の良い日には町内を運転していました。でも、季節が冬で手が
冷たくなり1時間ぐらいしか出来ません。
そして、寒さも和らいだ頃、初めて遠出をしました。国道の歩道を使い隣町
の境まで(片道約7km)行きました。その時は今まで車でしか通った事が無い
道をのんびりとしたスピードで走る風景は新鮮なものでした。特に四国88カ所
を歩いて廻られるお遍路さんと出会う時「こんにちわ」の一言を交わした時、改
めて四国を感じました。
今回、電動三輪車を戴いた事で、郵便局や銀行町内の買い物等随分行動範囲
が広がりました。しかし、僕の住んでいる所は過疎地域でチャリティーリポート
に出て来る様な鉄道(電動三輪車ごと乗車出来る列車)が無く、鉄道に限らず、
電動三輪車ごと移動手段が出来るようになればと思います。(地域の事情で鉄道
だけに限らずリフトタクシー等の車)
最後になりましたが、24時間テレビに募金なされた全国のみなさん・24
時間テレビチャリティー委員会始め関係者のみなさん、本当にありがとうござい
ました。今回戴いた電動三輪車は何時までも大切に使わさせて戴きます。また、
この電動三輪車で何かお役に出来る事はないかを考えて行きたいと思います。
堀 敦信